10/15 仏教から学ぶ事
こんにちは。
じまです。
今日は昨日法事があったんですがそこでお坊さんが話をしていた事ですこし面白いなと感じた事がありましたので書いていこうと思います。
仏教の事を面白おかしく現代風に語ってくれたので仏教の事を知らない人、信仰してない人でも通じる考え方だと思います。難しく考えなくて大丈夫です。
1・感謝するという事について
2・人間性と畜生について
3・時間の平等性について
1・感謝するという事。
皆さんは学生の頃とかによく先生に親に感謝しなさいとか部活していた方ならマネージャーに感謝してとかいわれませんでしたか?
まぁ実際お弁当作ってくれたり、洗濯してくれたり、感謝するのは当たり前ですよね。むしろそれを当たり前と思う人は私からするとズレてる。プロの方でお金払ってやってもらっているならまだしも無償で時間を使ってもらっているのに感謝できないのはダメ。
でもここではもっと深く、人に注意された時、叱られた時なんかも自分を成長させてくれる要素と言ってました。人は人から見放された時一人で生きていく。それは他人と接する機会をなくした時。いわば刑務所。いや、刑務所でも面会に来てくれる人や看守の人と関わって生きている。人と関わる事ができるのは感謝すべき事だと。
たしかに叱られた時なんかはイラっとしますがしっかり考えたら自分が悪かったり、まぁ本当に理不尽に怒られている事もありますが。それは置いてほとんどの事が感謝すべき事だと。考え方を少し変えて冷静になればプラスに変えれるのでは?と思ったわけです。
2・人間と畜生について
畜生とは畜養され駆使され喝食され、何者かに隷属し主体性を失った生き方。
家畜が分かり易い例。人間が美味しく頂けるように育てている。そして殺し、食する。人間も自分の考えを持たず、ただ何者(会社とか)に隷属しダラダラと時間を浪費しているのは主体性を失った畜生であると。
自分の考えを持ち、それと相反する者とぶつかり痛み・悲しみを感じ、考え方を共有できる者とは楽しみ・喜びを感じる。その感情を失った時、放棄した時人間から畜生に生まれ変わるのだと。
人と考え方、価値観でぶつかることは良い事だと言ってました。むしろそこに人間味がでてくると。
3・時間の平等性について
仏道では人間生まれた瞬間から死に向かって歩き始める。それは農家の人でも天皇陛下でも皆同じだと。死ぬ前に自分を歩んできた道を振り返り良かったと思えるなら上出来。思えなかったらあの世で反省したらいいと。そしてまた生まれ変わるときには反省を生かして死に向かって歩きなさいと。
後悔しない人生にしなきゃと思いましたし、時間は天皇陛下だって同じなんだと。そりゃ早く死ぬ人はいるだろうし長生きする人だっている。でも誰だって後悔はしたくないはず。僕ならしたくない。
後悔しない人生の定義なんて定まってないし人それぞれ。結婚して子供ができて孫ができる。みんなに看取ってもらい死ぬことが幸せな人もいれば、お金を稼ぎ豪遊してお金を使い果たして死んでいく人もそれは幸せだっていう人もいるよね。
でも一つ考えてほしいのはお金があれば選択肢が増えるって事。少し無理やりお金の話に繋げたけどこれは本当にそうなんだ。お金があれば旅行に行く先も海外だって検討できる。欲しい物だって高級ブランドが選べる。病気になっても高度な医療が受けれるかもしれない。
増えた選択肢でどれを選ぶかは大事じゃない。そこは後悔しないように選べばいい。でも最初から選べない事と数ある中から選ぶ事では全然意味が変わってくる。
だからお金を稼ぐ。きっと後悔するとしたらここ。あの時こうしてればな~なんて後悔はしないはず。あの時にお金があればこんな事できたのに~って後悔をするはず。
その為にするべき事。しっかり稼いで、しっかり倹約して、しっかり運用する。
その為にやるべき事を考える。わからなかったら誰かに相談する。別に僕じゃなくてもいい。仕事で稼いで人、節約が上手な隣の奥さん、副業でこっそり運用してお金を増やしている同僚。誰だっていい。でもできるなら少し成功している人より大きく成功している人の方いい。その方が得られる物は大きい。
その人に辿り着く人脈がなければ僕を利用してもらっていい。人脈ってもはすごく大事。営業の方なんか身をもって感じてるんじゃないかな?
僕は稼ぎたいと思っている人応援します。